2/11ページ目 竹林村へ到着した丁度その時、雨期が始まりました。 インドでは雨期が四ヶ月間続き、この期間は毎日スコール性の強い雨が降ります。 野原には草木が繁茂し、毒蛇や毒虫なども横行する上に、河川も増水します。 それゆえ、この雨期の期間は生き物を殺傷しますし、大層危険でもあります。 これらの理由によって、仏陀は雨期の三ヶ月間、一ヶ所に定住して旅行をしない「雨安居」の制度を設けられていました。 この時も雨期が始まりましたので、弟子達に「それぞれ縁故者を頼って宿所を見つけ、三ヶ月の雨安居に入るように。」と命じられました。 仏陀はこのように、一所に留まらない遊行生活を続けておられます。 定まった家も持たずに旅から旅へと遊行して歩く生活は、とても不便で苦しいものであったと思われます。 しかし、このような苦しい生活に堪えて旅を続ける事こそ、仏陀の目的であり、修行であったわけなのですが、雨安居の三ヶ月の間は、仏陀も一ヶ所に留まって、一人瞑想をして日々を過ごされる事が多かったようです。 竹林村にて教団を一時解散し、仏陀もいつものように雨安居の生活を始めておられたある日のこと。 仏陀に恐ろしい病気が起こり、死に近いような激痛が生じました。 それでも仏陀は意思を強固に持って正しい思惟を失わないようにして、その激痛に堪えておられました。 「私が持者にも知らせず、修行者たちにも別れを告げないで涅槃に入ることは、私にとってふさわしくない。私は心を励まし、意思を強く持ってこの病苦に堪え、寿命の力をとどめて住することにしょう。」 このように考えられた仏陀は、自ら心を励まし、その病苦に堪え、寿命の力をとどめて住しておられました。 この堅固な気持ちからか、やがてその病気は消滅して回復してゆきました。 久しぶりに仏陀は住居の外へ出て、住居の傍らに用意されていた座席に腰をおろしました。 持者の阿難は、仏陀のその姿を見て、静かに傍へ近づいて敬礼をし、一方に座して、次のように申し上げました。 「尊い師よ、ご機嫌うるわしくお見受けします。病気がよくなられたようにお見受けします。 尊い師のご病気が心配で私は方角も解らなくなり、道理もわからなくなりました。 しかし『尊い師が修行僧の教団に関して、何も言い残さないで涅槃に入られることはないであろう。』と考えて、いささか心を安じておりました。」 阿難の言葉を聞いて仏陀は答えられました。 「それでは修行僧の教団は私に対して何を期待するのか。 私は内外の隔てなく教えを説いてきた。 阿難よ、如来の法には、何ものかを弟子に隠すような教団の握拳(秘密の教え)は無い。 『私は修行僧の教団を指導しょう』とか、あるいは「教団の修行僧達は私を頼っている』と、このように考える者こそ、修行僧の教団に関して何事かを語るであろう。 しかし、阿難よ、如来は『私は修行僧の教団を指導しょう。』とか、『修行僧の教団は私を頼っている。』と、このように思うことはない。 それゆえ、如来は修行僧の教団に関して、何を語ることがあろうか。 阿難よ、今や私は老い、衰え、高齢となり、人生の終わりに達し、老衰した。 私の齢は八十になった。 たとえば古い車が皮紐で修理されて動くように、惟(おも)うに私の体も、いわば皮紐の助けによっていくのである。 しかし阿難よ、如来が、心に一切の相を考えることがなく、一つ一つの感受を滅することによって、『相をもたない心の統一』(瞑想』に安住するとき、如来の体は安楽であるのである。 それゆえに阿難よ、自己を島として住し、自己を帰依処として住せよ。他を帰依処とせざれ。 法を島として住し、法を帰依処として住せよ。他を帰依処とせざれ。」 と述べられ、弟子達が涅槃に入ることの間もない仏陀のみを、頼りとしていることの非を諭されました。 即ち、自己を拠り所とし、法を拠り所にせよ、と言う「自灯明・法灯明」の教えを述べられたのです。 ◆ 寿行を断つ お釈迦様は阿難を伴って托鉢の為にヴェーサーリー市を訪れ、食事を済ませてから 「阿難よ、チャーパーラー廟へ行こう、そこで食後の休息をしよう。坐具を持っていきなさい。」と言われました。 阿難は「かしこまりました、尊い師よ。」と答えて、坐具を持ち、お釈迦様の後に従いチャーパーラー廟へゆきました。 そして、阿難が設けた座処にお釈迦様が座られてこう言われました。 「阿難よ、ヴェーサーリーは楽しいところだ。ウデーナ廟も楽しいところだ。チャーパーラー廟も楽しいところだ。 阿難よ、誰でも*四神足を完全に修習した人は、一劫この世に住することができる。如来は四神足を完全に修行したから、もし欲するならば、一劫この世に住することができるのである。」 しかし、阿難にはお釈迦様のこの言葉の意味が理解できませんでした。 その為、ただちに「それならば、お釈迦様はこの世に一劫住して下さい。」とお願いしなかったのです。 お釈迦様は、この世に苦しんでいる人々を救うために、少しでも長くこの世に住していようと思い、「もし欲するならば一劫住することができる。」と仰りたかったのですが、阿難にはその真意をくみ取ることができませんでした。 そこでお釈迦様は三度繰り返し先の言葉を述べられたのですが、阿難には反応がありませんでした。 そこでお釈迦様は 「阿難よ、もうさがってもよろしい。」 と言われ、阿難を遠ざけられました。 そこへマーラ(悪魔)が近づいて来て、お釈迦様にこう囁きました。 「尊い師よ、いまこそ涅槃にお入りなさい。いまこそ尊い師が涅槃に入られる時です。かって尊い師は『マーラよ、私の男性の修行僧達が賢明であって、法を保ち、法のごとく実行し、法を解説し、法を説示するまでは、私は涅槃に入らない。』と仰いましたが、いまや尊い師の男性修行僧は、言われるとおりになりました。同様に、尊い師の女性の修行僧、男性の在家信者、女性の在家信者が『法を保ち、法のごとく実行し、法を解説し、法を説示するまでは涅槃に入らない。』と言われましたが、すべてはそのようになりました。 また尊い師は、『マーラよ、私の清純な修行が完成し栄え、世間によく知られ、ゆきわたり、人々に広く説かれるまでは、涅槃に入らない。』と言われましたが、しかしすべてはそのようになりました。 いまや、尊い師は般涅槃にお入り下さい。いまこそ尊い師が涅槃に入られる時です。」 このようにマーラに言われて、お釈迦様は答えました。 「マーラよ、心配するな。久しからずして如来は般涅槃に入るであろう。これより三月後に如来は般涅槃に入るであろう。」 このように、チャーパーラー廟においてお釈迦様は、もうこの世にとどまる必要がなくなったと考えて、三月後に涅槃に入る事を約束されたのです。 これは、お釈迦様がはっきりと自覚を持って、ご自分の寿命の元になる力(寿行)を捨てたのです。 この時、お釈迦様が寿行を捨て去った事に対して、天地は六種に震動し、恐ろしい地震が起こりました。 人々は恐れ、身の毛がよだち、天の太鼓も破裂しました。 阿難は驚いてお釈迦様の元へ駆け寄り、地震の原因をたずねました。 お釈迦様は、このような地震がある原因には八つある、と言われて、それぞれを説明しました。 八つ目の原因として、如来が正しい自覚をもって、自己の寿行を捨する時である、と答えられたのです。 そして、「このチャーパーラー廟で寿行を捨したから、三月後には如来の般涅槃があるであろう。」と告げられたのです。 お釈迦様の言葉を聞いた阿難はビックリして、そして懇願しました。 「尊い師よ、尊い師はどうかこの世に一劫住してください。人々の利益のために、人々の幸福のために、世間をあわれむために、神がみと人間との利益のために、幸福のために、どうかこの世に*一劫とどまってください。」 しかし、お釈迦様は「いまはそのようなことを願ってはならない。そのような願いをする時ではない。」と、阿難の願いを退けられました。 それでも、阿難は二度、三度と懇願しましたが、その願いは聞き届けられることなく、お釈迦様の入涅槃は決まってしまいました。 悲しみに打ちひしがれる阿難に、お釈迦様はこう仰いました。 「しかし阿難よ、私はかって告げなかったであろうか。「愛しく、好めるものといえども、生別し、死別し、死してのち境界を異にする。」と。 阿難よ、生じたもの、つくられたるもの、壊れる性質をもつものが、実に破壊しないようにあれ、と言うことがどうしてあり得ようや。こういう道理は存在しない。 阿難よ、この肉体は如来によって捨てられた、投げ出された、放棄された。 寿命のもとになる力も捨てられた。 如来ははっきりと断言した。「久しからずして如来の般涅槃はあるであろう、三月後に如来は般涅槃に入るであろう。」と。 如来が一度断言したことを、再び取り消すということはあり得ない。」 そして、お釈迦様は阿難に命じて、ヴェーサーリー付近に住していた修行僧たちを、すべてヴエーサーリー市の市民会館(大林重閣講堂)に集められ、集合した修行僧たちにお釈迦様は種々の法話をされました。 そして、「汝らは、世間の人々の利益と幸福のために、これらの教えを世の中に宣布せよ。」と言われ、 「いざ修行僧たちよ、私はいまお前たちに告げよう。すべて形あるものは、壊れるものである。 諸行は無常である。怠らないで、修行の目的を達せよ。久しからずして如来の般涅槃はあるであろう。 三月後に、如来は般涅槃に入るであろう。」 「私の齢は熟した。 私の寿命は少ない。 汝等を捨てて、私はいくであろう。 私は、自己に帰依することをなしとげた。 修行僧たちは怠ることなく、正しい自覚をもち、よく戒をたもて。 思惟によりて、よく心を統一し、自己の心をよく護れ。 この法と律とに精励して住する者は、生の流転を捨てて、苦の終わりを作すであろう。」 * 四神足(しじんそく)・・・四種類の神通力の修行 一劫(いちごう)・・・非常に長い時間の単位(一辺4000mの立方体に小さな芥子の実が一杯詰まっているとして、三年ごとに一粒を取り去るとすると、いつかはこの芥子の実が尽きる時がきます。それに要するる時間を『一劫(いちごう)』と表します。) <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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