芟エ始仏典から学ぶ  
仏陀の教えを紐解く
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【十支縁起】

前回は十二支縁起についてご説明いたしましたが、今回は十支縁起について簡単にご説明致します。
十支縁起とは、十二支縁起の「無明」と「行」を除いた「識」以下「老死苦」と続く系列を言います。
この系列を説く経典(『相応部』12・第65経「城邑(ナガラ)」。『大正蔵』第2巻80頁中〜81頁上)は、「十支縁起」と「四聖諦」を併せて説いており、かつ、「八正道」を過去仏が歩んだ古仙の道として伝承していた点で特徴ある文献資料です。
その内容は、第1段で十支縁起の順、逆2観を説き、第2段で古仙の道としての「八正道」を述べています。


 この経は「私(世尊」がまださとりを得なかった菩薩であったとき、この老死苦からどうしたら出離できるだろうか、と問いかけ、私はこのように思った。」と言う書き出しで、お釈迦様が弟子達に語るところから始まります。

第一段

 「何があるとき老死があり、何に縁って老死があるのか」と。
私は智慧によって「生があるとき老死があり、生に縁って老死がある。」という事をさとった。
そして順次、有・・・取・・・愛・・・受・・・触・・・六処・・・名色と考え、「何あるとき名色があり、何に縁って名色があるのか。」という事をさとった。___略___

 比丘達よ、そこで私はこう思った。
「この識はここより退き、名色を超えて進むことがない。この限りにおいて老い、生まれ、衰え、死して再生する。
すなわち、この名色に縁って識があり、識に縁って名色がある。
ないし六処・・・触・・・(老死がある。)
このように、すべての苦の蘊(あつまり)が集起するのである。

そのとき私はこう思った。
「何なきとき老死なく、何の滅によって老死の滅があるのか。」と。
私は智慧によって「生なきとき老死なく、生の滅によって老死の滅がある。」とさとった。
・・・ないし・・・「何がなきとき名色なく、何の滅によって名色の滅があるのか。」と。
私は智慧によって「識なきとき名色なく、名色の滅によって識の滅がある。」とさとった。
・・・ないし・・・生の滅より老死の滅がある。
これがすべての苦の蘊の滅であると。___略___


第二段

 比丘達よ。私(世尊)はまた、それ「古人」と同じように過去の正覚者(過去仏)が辿った古道、古径を見いだしたのである。
この古道、古径というのはまさしく八正道、すなわち正見・・・ないし・・・正定である。
私はその道に従って行きながら、老死(苦)を知り、老死(苦)の集起を知り、老死(苦)の滅を知り、老死(苦)の滅に至道を知ったのである。
・・・ないし・・・識を知り、識の集起、識の滅、識の滅に至る道を知ったのである。

                     (『相応部』2・104〜106頁。 「南伝」第13巻150〜155頁)

この経典は釈尊が過去仏の歩んだ古道、古径を辿る中で見いだしたのが「四聖諦」「縁起の法」であると伝承しています。
つまり、縁起の法は見いだしたのであって、作ったのではない、という事です。
そのことは、真理の教えは時、空を超えて普遍的なものである、という事です。
ですから、「この縁起の法は如来の出世、未出世にかかわりなく常住である。」(『相応部』2・25頁。 「大正蔵」第2巻84頁中)と伝承されているのです。
そして、この十支縁起は、これ以外に『長部』第15経「マハーニダーナ経」(漢訳「大因経」。ただしパーリー文には六処を欠く。)や(『長部』第14経「マハーバダーナ経」(漢訳「大本経」)に見られます。

以上、人間にとって何が苦であるかという現実の認識と、その苦は何を原因とし何に縁って生起するか、その苦をどうすれば消滅できるか、という苦の生起と消滅が根幹となって説かれているのです。

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