芟エ始仏典から学ぶ  
仏陀の教えを紐解く
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【縁起のダルマ】

では、お釈迦様が悟られたダルマとは、具体的にはどのような事なのかを見てゆきたいと思います。

増支部経典始め、多くの仏典では、お釈迦様が「アシヴァッタ樹の根本で正覚した。」と伝えています。
正覚(しょうがく)とは、原語のひとつでは「アビサンボーディ(パーリー語)」と言って「ダルマ(法)について十分に知り尽くした境地、あるいはダルマが現前する境地に達した事を言います。
これまでに述べてきた「善なるもの・正しい覚り」と言うのが、これにあたります。

この正しい悟りを得たお釈迦様は、以後「ブッダ(buddha)=目覚めた人」と呼ばれ、ダルマを熟知した人は誰でも「ブッダ」と呼ばれたので、お釈迦様の事を「ゴータマ・ブッダ」と呼ぶ人もいます。
お釈迦様が悟られたのは、一体どのようなダルマであったのか、又、どのような状況で悟られたのかが、「律蔵」「ウダーナ」などに書かれていますので、その時の模様を仏典から抜粋致します。

ウルヴェーラ村のネーランジャラー川の岸辺にある菩提樹の下にゴータマ・ブッダはいた。
そこで始めて正覚を得た。
その時、七日の間ひたすら足を組んでいて、解脱の楽しみを受けて座っていた。
七日が過ぎてから、彼は縁起のダルマを「順の関係によって」考えた。
「これがあるときに、かれがある。これが生起するからかれが生起する。」と。
この意味をよく知ってから、彼は次のような詩偈を唱えた。

 努力して考えているバラモンに
 諸々のダンマが現れるならば、
 彼の全ての疑惑は消える。
 原因のダンマをはっきりと知っているから。

ここで言うバラモンとは、優れた修行者と言う意味で、お釈迦様自身をも指している言葉です。
詩偈に引用した「ダンマ」とはパーリー語で、「ダルマ」と同じ意味です。
『ものは原因とそれに付随する条件とがすべて相関して相乗し、複合し、そして融合して生起するダルマである。』
これを知ったから、生まれ、老い、病み、そして死ぬなどの苦しみが何故避けられないのか、と言う疑惑が晴れたと、詩偈では言っています。
更に彼は縁起のダルマを「逆の関係によって」考えました。
「これがない時にかれがない。これが滅するから、かれが滅する。」
この意味をよく知ってから、彼は次のような詩偈を唱えました。

 努力しているバラモンに
 諸々のダンマが現れるならば、
 彼のすべての疑惑は消える。
 種々の条件(縁)のダンマをはっきりと知ったからだ。

全てのものは、ある原因と条件が無くなると、その原因と条件によって次第に結果したものが滅すると言う道理。
すなわち、ものが縁滅している事を熟知して、一切の疑惑が晴れたと述べています。

すべてのものは神や創造主によって作られ、生成し、存在し、そして消滅すると言う既存の宗教に対して、お釈迦様は『すべてのものはみな原因(因)と種々の条件(縁)が相乗し、複合し、そして融合して生起し、そして消滅していると言う「因縁関係(因果関係ではない)」のダルマであると、悟られたのです。

お釈迦様は、何事も「極端にはしらない」と言う「中庸」の立場の中で、このダルマを悟りました。
だから、その後の説法の中にも「苦行」「瞑想」などを否定する考えは持たれていなかったと感じます。

それと、もうひとつ注目しなくてはいけない事は、当時の「すべては神や創造主によって造られ生成し、存在し、そして消滅する」と言う信仰に対して、「すべてのものはみな原因(因)と種々の条件(縁)が相乗し、複合し、そして融合して生起し、そして消滅している因縁関係(因果関係ではない)のダルマである点です。
これは当時としてはとても画期的な思想であったと思われます。
この「縁起のダルマ」は、どんな時代でも、どんな文明社会においても通用するダルマであって、すべての宗教とも科学とも対立することのない、お釈迦様が言うところの「善なるもの・正しい覚り」の本質そのものであり、これこそが、彼が求めていたもの、かの仙人達が知り得なかったダルマなのです。
勿論、ヨーガや苦行も抜きにしてはこのダルマに辿り着けなかったのではないでしょうか。

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