カ−ネ−ション事件

1793年8月22日
バスティーユ陥落から4年後、フランス革命は過渡期を迎えていた。

前年の王権廃止から、年明けの国王を処刑するに至った革命は、理想と現実、国内の安定と対ヨーロッパ戦争への対処で揺れていた。

始めは、他国との取引材料だった王妃マリーアントワネットの身柄も王妃の処刑を望む一部の国内勢力、王妃を幽閉しても交渉に応じない他国、マリーアントワネットの奪還の気配を見せるフェルセン伯爵と、様々な動きの中、フランスは恐怖政治へと加速していた。

過激派アンラジェのリーダー/ジャック・ルーは、王妃を処刑する立場でジロンド派と対立して、民衆が直面している現実を突き付ける事でジャコバン派と対立した。

ジロンド派は、国民公会を追われて、ジャコバン派が主導権を握ろうとしている時期にルーの存在は、一種、正論なだけの目障りな存在でジャコバン派は、ルー率いる過激派アンラジェを弾圧していく。

ヨーロッパで最も美しいフランス国の王妃で優雅さに於いて、比類なきマリーアントワネットは、もはや外界の権利争いなどとは無縁なコンシェルジュリー牢獄の独房部屋で糸車や編み棒も取り上げられて、看守兵のカードゲームを眺める事だけが楽しみだった。

ある日、王妃の靴が腐ってしまった為に靴と一緒に身の回りの品物をタンプル塔から送って貰った。
王妃が品物の収納場所に困っていると、世話係のロザリーが段ボールを借してくれて、王妃はロザリーの優しさに触れて喜んだ。

1793年8月28日 水曜日
コンシェルジュリーに移送されてから、王妃には最低限の家具とドレスは白と黒の2着のみ。
そして、タンプル塔塔から送って貰った肌着、靴下、ショールシ、マントだけで監禁生活を送っていた。

監禁生活の心労で37歳でありなから、かつてヴェルサイユで優美に華やかだった王妃の面影は無く、年老いた老婆のようになった王妃には、ダイヤの指輪2つ、母マリア・テレジアから譲り受けた金の懐中時計、コルセットの中に隠し持って来たルイ・シャルルの肖像画と小さな手袋に包んだ一束の髪の毛だけが思い出を偲ぶ品だった。
そして王妃にとって、何よりも気掛かりな事はタンプル塔に残された王女マリー・テレーズと王子シャルル、王妹エリザベートの事だけだった。



ある日、王妃の牢扉の前で鍵束の音がした。
通常、扉が開く時は警察理事官に金を握らせて、誰かが王妃を見物に来る時。
又は、不吉な知らせが届く時であった。

牢部屋に入って来たのは、監獄総監(警察理事官)のミショニと1人の男だった。
王妃は、ミショニの姿を認めると心配していた子供達の様子を尋ねた。
そして、同行して来た男に目を留めて驚愕した。

胸にカーネーションを挿した男は、数々の窮地から王妃を護った勇敢なサン・ルイ騎士ルージュヴィル(※本名:アレクサンドル=ドミニック・ジョゼフ・ゴンス)だった。

ルージュヴィルは1761年、裕福な農夫の家に生まれて、父の農場の名称を取ってド・ルージュヴィル騎士と名乗っていた。

ルージュヴィルは、元々は王弟プロヴァンス伯爵の奉公人。
王宮に残った僅かな王党派の1人として王室を護り、ヴァレンヌ事件の時にプロヴァンス伯が亡命した後もフランスに留まっていた。

1792年の民衆によるテュイルリー宮襲撃時には、ルイ16世の元に行こうとする王妃を押し留めて、王妃の2人の子供達、侍女と共に会議室へと促して、大きなテーブルと兵士を周囲に配して王妃を護るという機転を利かせた人物だった。

ルージュヴィルに気付いた王妃は、青ざめて震え出し、顔に生気が戻ると涙ぐんでいた。
牢部屋の前には憲兵が居る為、王妃はルージュヴィルを見ないようにした。
しかし、ルージュヴィルがしきりに何かの合図をしている事に気付いた。
動揺した王妃に気配りをした警察理事官のミショニは、他の牢を見回る事を口実に「もう1度、戻って来る」と告げて、ルージュヴィルを連れて牢部屋を出て行った。

そして、再び2人が戻って来た時、王妃は細かな合図も目配せも見逃さないように心掛けた。

最初にミショニと話している一瞬の隙を突いて、ルージュヴィルが目配せしながら、暖炉の向こう側に胸に挿していたカーネーションを投げ入れた事を王妃は見逃さなかった。
そして、ルージュヴィルは極小さな声で王妃にカーネーションに隠した手紙を読むように告げると既に扉に向かっているミショニの後を追って部屋を出て行った。

王妃は、監視の目を盗んでカーネーションを拾おうと憲兵のジルベールに食事に苦情があるのでミショニを呼ぶように頼んだ。
ジルベールは、ミショニを呼びに行き、王妃が格子窓を見上げるとミショニの案内でルージュヴィルは女囚の中庭を見学していた。

そして王妃は、ジルベールの居なくなった隙に素早くカーネーションを手早く拾った。
そのカーネーションには、短い手紙が隠されていた。
王妃救出の熱意と今度の金曜日に3〜400ルイのお金を用意する準備があると書かれていた。
(カーネーションが1輪ではなく、2輪であったとする記述もある。
但、後に事件が発覚して関係者が尋問された時の調書には、もう1つの手紙については触れられていない)


1814年まで生きたルージュヴィルによれば、王妃を脱出させる詳細な計画が書かれていたという。

暫くすると今度は、ルージュヴィルが1人で牢部屋に戻って来た。
王妃が『子供達の事が気掛かりです』と言うと、ルージュヴィルは『貴女を必ず救出するので勇気を持つように。金曜日にお金を届ける』と言い残して、迎えに来たミショニと去って行った。

いずれにしても、王妃に一縷の希望を与えた手紙に王妃は答えようと牢にあった紙片にピンを刺して、『貴方(ルージュヴィル)を信頼して、脱出する決意がある』と返事を書いた。



王妃は、ピンで刺し打ちした手紙を憲兵のジルベールに報酬の約束をして、再び金曜日にルージュヴィルが来たら、手渡すように頼んだ。

憲兵のジルベールは、王妃に対して心が癒されるようにと、花を差し入れるなど心配りをしていた。
王妃は、ルージュヴィルがサン・ルイ騎士である事やテュイルリー宮襲撃時に見せた働きなどをジルベールに話した。
しかし王妃がジルベールに手紙を渡そうとした時、コンシェルジュリー牢獄の管理人リシャール夫人が現れて、手紙を奪い取った。

憲兵にとって、3~400ルイもの報酬は目が眩む程で、もしも反革命と疑われたら職を失うどころか、断頭台に上る事を怖れて、ジルベールは王妃から聞かされた話をリシャール夫人を追い掛けて話してしまう。

リシャール夫人のような下層階級の人間にとって、王妃の威光は大きく、出来うる限りの心遣いを女中のロザリーと共に親切にしてきた。
そしてリシャール夫人は、ミショニに手紙を渡し、手紙を受け取ったミショニは「決して、誰にも口外しないように」と2人に告げた。

ミショニは以前、タンプル幽閉時にも王妃の救出計画に加担した事があり、その時は上手く切り抜けて、監獄総監の職も失わずに済んだ。

1793年8月30日
ルージュヴィルは慎重を期して、一昨日とは服装を変えて、約束どおり金貨で400ルイ。アッシニア紙幣で1万リーブルを用意して王妃の面会にやって来た。
そしてルージュヴィルは、この日、王妃に牢から救出する方法を伝えた。

28日にルージュヴィルが訪問した時、王妃は金を持っていなかったが、この金で憲兵を買収する事が出来、憲兵に渡した金は28日、3度目にルージュヴィルが渡したとも、彼が30日にコンシェルジュリー牢獄に行ったのは疑わしいとする文献もある。

しかし、後にルージュヴィルが残した記録には『30日に王妃が衰弱していた』との記載がある事から、28日の夜は王妃が体調を崩している為に30日にコンシェルジュリー牢獄を訪ねたのは、事実と思われる。

そして、王妃の救出は9月2日に決行される事になった。

脱出が成功すれば、王妃は亡命先で待つジャルジェ夫人の元に匿われる手筈だった。

王党派にとっては、王妃の存在は反革命の旗印になり、救出が成功すれば、反革命派には大きな力になると考える王家に忠実な人々もいる。
国外へ亡命した2人の王弟は、自分達が王座に上る為には王妃は、もはや邪魔者とでもいえる存在だった。

そして、王妃の甥にあたるオーストリア皇帝フランツ2世にとっては、王妃の救出より国政が重要だった。

一方のフェルセン伯は、1人ヨーロッパ各国の王室を回って、王妃の救出を懇願していた。
スウェーデン国王グスタフ3世を失ったフェルセン伯は、政治的に無力であからさまに王妃の愛人と嘲られる事もあった。

1793年9月2日
午後23時、王妃は1人散歩場の鐘の音を聞いていた。
その鐘の音は、翌日、革命裁判所に召喚される囚人が他の囚人を食事に招き、夜半を迎えても、飲んで歌う彼らに牢に戻るよう促す鐘だった。

夜になっても熱気がある為に王妃の牢部屋の2つの窓は開け放ってあった。
そして、突然、牢の扉が開けられると扉の向こうに立っていたのは、監獄総監ミショニとルージュヴィルだった。
ルージュヴィルは、予め2人の憲兵に金貨50ルイを与えて買収していた。

ミショニは、王妃をタンプル塔へと移送する命令書を携えていた。
コンシェルジュリー牢獄の管理人リシャールは命令書に従い、王妃の牢に2人を通した。

そして王妃は、2人の憲兵ジルベールとラリヴィエールに挟まれて、暗い廊下を通り、中庭へと向かった。

ミショニの持っている命令書は偽物だが、計画では、王妃は中庭に控えている馬車でジャルジェ夫人の待つリヴリーの館、そしてドイツへと向かう事になっていた。

一行は、牢獄内の潜り戸を全て通り抜けて、あとは通りに面した門を越えるだけだった。
その時、王妃の脱獄を阻む裏切り者が現れた。

※これについては、2つの異なる証言がある。

●サン・ルイ騎士ルージュヴィルによると、脱出を阻止したのは2人の憲兵のうちの1人。

●王妃の世話係ロザリー・ラ・モリエールと憲兵のラリヴィエールによると、王妃の世話係アレル夫人。

世話係のアレル夫人は、36歳で夫は市役所で小使いをしていた。
彼女を世話係にとコンシェルジュリー牢獄に連れて来たのはミショニだったが、王妃は彼女に好感を持っていなかった。

結局、裏切り者が出現した事で王妃の救出計画は、水泡に帰す事になった。

1793年9月3日
脱出計画が発覚した事で憲兵ジルベールがデュ・メニル大佐宛ての報告書に王妃にカーネーションが渡された事と王妃がピン刺しで手紙を書いた事を告白した。
しかしジルベールは、自分が共犯で金貨50ルイを受け取った事は隠していた。
口封じの為の金貨は、ジルベールの上官デュフレーヌ軍曹にも渡されていた。
至急、デュ・メニル大佐は保安委員会に報告した。

その頃、カーネーション事件を仕組んだ監獄総監のミショニとルー・ジュヴィルと彼の愛人ソフィ・デュティユールは、共通の知人フォンデーヌの家で昼食をとりながら、王妃の救出失敗の後始末について策を考えていた。

その結果、ルージュヴィルは逃亡して、ミショニはコンシェルジュリー牢獄に出向き様子を探った。
午後16時半頃にコンシェルジュリー牢獄に到着すると、国民公会の2人の代議士と軍隊の副官が調査に訪れていて、ミショニにも面会を求めていた。

事件に関わった人物、監獄総監のミショニ、憲兵のジルベール、デュフレーヌ、管理人のリシャール夫妻、世話係のアレル夫人は、それぞれが自分は知らなかったと否認した。
しかし、彼らの証言は矛盾点が多く、何度も尋問を繰り返されるうちに少しずつ真実が明るみに出た。

結局、9月11日には管理人リシャール夫妻は共犯として逮捕されて、コンシェルジュリー牢獄に投獄。

王妃の世話係アレル夫人は解雇されて、新しい管理人ポー夫妻が着任。

解雇されずに残ったのは、世話係のロザリー・ラ・モリエールだけだった。

王妃は、最初の尋問では全てを否定したが、夜明けまで数回に渡った尋問で関係した人々が事実を語った事を悟ると事件の事を話した。
王妃が証言しなかったのは、ミショニが関わっていた事だけで、王妃の自尊心はミショニに危害を及ぼすなら、自らを危険に晒した方が良いと考えた。

翌日、王妃は思い出の2個の指輪、金の懐中時計、シャルル王子の肖像画と髪の毛、更に全ての所持品を没収されて、残されたのは帽子とショール、タンプル塔から連れて来た子犬だけだった。

以後、王妃の監視の目は厳しくなって、肌着すら1枚ずつ、憲兵から手渡される事になった。

1793年9月13日
王妃が最後の日々を過ごした牢が完成した。

カーネーション事件後、王妃を更に強固な警備の下に置かれるよう、独房部屋の場所を移す事になった。

コンシェルジュリー牢獄には、調査委員が納得する牢が無かった為、薬剤師ギョーム・ラクールの薬局を空けさせた。
そこは、中庭まで潜り戸と鉄の柵が6ヵ所あり、3ヵ所の窓はそれぞれ鉄板、石、鉄格子で塞がれて、牢の入り口には2つの鉄扉が取り付けられた。

こうして、厳重な監視の下、王妃は着替えの為に衝立の向こうに1人になる事も許されなくなった。

また王妃が髪結いを女中のロザリーに頼むとポー氏が彼女を押し退けて、櫛を取り上げた。
王妃は自分で髪を結うと、リシャール夫人に髪を結って貰う時に使っていた白のリボンを形見にとロザリーに手渡した。

誰からも話し掛けられず、誰も王妃を訪ねてひ来ず、じめじめとした暗い地下牢で王妃は本を読んで過ごした。
視力は衰えて、湿気と冷えで出血が止まりらず、もはや王妃に昔日の面影はなく、暗闇の中に孤独な老女がいるだけだった。

カーネーション事件を実行したルージュヴィルは、懸賞金が掛かった身であるにも関わらず、身を潜めた漆喰採取場で黙々とペンを走らせて、王妃に対して行われた仕打ち、題して『獄内におられる王妃にカーネーションを献上せる本人の筆になる、パリ市民が彼らの王妃に対して、なせる犯罪の数々』という冊子で告発。
また、その冊子を国民公会の事務局と革命裁判所の事務所に白昼堂々、自ら置きに行った

それでもバッツ男爵同様、ルージュヴィルは革命期を生き延びた。
その後、皇帝ナポレオンのモスクワ遠征の際にロシア士官と通じていたとの嫌疑で逮捕、処刑されて果てた。

ヴァレンヌ逃亡事件以来、幾つも計画された王妃の救出計画は全て水泡に帰し、終に叶う事はなかった…。





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